ロン毛取立人

戦慄怪奇ファイルコワすぎ!と逆転裁判とワンピースで身体の半分が構成されている腐女子です。

CATSはクトゥルフと宗教と白石晃士監督作品とヤクのマリアージュ(CATS映画レビュー)

 

ブログタイトル通りである。

 

オタク、CATS見た? 私は見た。ついさっき見た。

 

海外では「評価するなら玉ねぎかな(誤訳らしいがあまりにもパンチラインなので採用する)」やら「自分の脳みそが寄生虫に蝕まれているのでは?」やら散々な評価をされているが、トム・フーパー監督(レ・ミゼラブルとか)の大傑作になる事を期待された超予算映画である。決して白石晃士監督の低予算映画とかそういうのではない。(見た目はそれに近いものがあるが)

 

鉄は熱いうちに打てと、過去の偉い人も言っているので、私が感じた超映画「CATS」の世界の話を書こうと思う。

 

ガンガンネタバレするのでまだ見ていない人は早く劇場に行くんだ。そして新時代の幕開けをその目に焼き付けろ。

 

 

結論から先に言えば、そこまで見れない映画ではない。ミュージカル映画として見ればそれなりに楽しいし(アナ雪2のクリストフのミュージカルシーンが恥ずかしくて見れなかった私もこの映画は楽しめた)、背景美術とかも綺麗で「金が掛かっている」事をその目で実感できる。

 

キャラクターの見た目を除けば。

 

https://youtu.be/SZOAgztqTLw

 

CATSの予告編や公式サイト等を見た人なら分かると思うが、あれは人とも猫とも名状しがたいナニカである。身体と顔はほぼ人間で、ものごっつ凄いCG技術で猫の皮を無理やり被されているような……猫の神様の子供を人間が受胎したら産まれるキメラのような怪奇生命体である。正直【怪奇! 猫人間】としてコワすぎの工藤と市川が追っていてもおかしくないビジュアルをしている。

 

一緒にこの映画を見た友人はこの映画に出てくる怪奇猫人間を「ごっつええ感じのリアルポンキッキ」だと言った。あながち間違っていない。

f:id:Manam:20200127230524j:image

リアルポンキッキ達。流石に猫人間は死体を埋めたりはしない。

 

そのような人間では到底説明出来ない恐怖を超越した超生命体が、舞踏会に参加して「年に一匹だけ選ばれる天上にいける猫」になる為に歌って踊って長老猫にアピールする、それがCATSのストーリーの全てだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

ただひたすら、猫人間が踊って歌う。それをずっと聞かされる。耳と目から受け取るヤクである。考えるな、感じろ。

 

このビジュアルに関してだが、私は思ったよりも早く受け入れられた。元々こういうのが出てくると知っていたというのもあるが、このナニカを「地球から人類が滅んだ後に台頭してきた人間に酷似しているグロ版けものフレンズだと無理矢理解釈する事で強烈な拒否反応はだいぶ薄れる。これを我々の知っている、ネットでよくバズる猫と一緒にしてはならない(戒め)

 

だがこのリアルな猫人間達、仕草が(当然の事だが)妙に猫だ。二本足で立ってるんだからミルクの飲み方もそのまま流し込めば良いのに、猫らしさを尊重してか、顔を近づけて飲む。そのシーンが何度かあって、その度に自分は「猫を見ているのか? それともこの……何?」という疑問と改めて対峙しなければならなくなる。言ってしまえば凄く下品なのである。

こっちは現実逃避に現実逃避を重ねてこの映画見てるのに、現実に戻されたら、ふと脳裏をチラつくのはネットの酷評の嵐と、本能からくる恐怖である。この恐怖からは映画が終わるその瞬間まで向き合っていかなければならない……あれ、これ楽しいミュージカル映画ですよね?

 

ただ、この映画はビジュアルこそ致命的(すぎる)な問題を抱えてはいれど、何度も舞台として上演された人気ミュージカルという事もあり、キャラやそれぞれの歌は非常にクオリティが高い。

 

特に序盤から登場する猫人間の一匹(人?)、手品猫(この物語ではそれぞれ猫人間の特技だったり好物だったりで鉄道猫やら劇場猫やらの二つ名がある)のミストフェリーズのキャラは抜群に良く、私はこいつの存在だけでこの映画の存在を半分くらい許した。

(恐らく)主人公の美人な猫人間ヴィクトリアスに(恐らく)一目惚れした彼は、引っ込み思案な性格からか前に出る事は無けれども、ずっと彼女の側におり、彼女がピンチに陥ったときにはただ一匹(人)助けに来てくれる。ダンスも一緒に踊っちゃうし、終盤の方では抜群の活躍を見せる。

あと何より服着てるので他の猫人間よりも見れる。

この映画、猫だから当たり前だが殆どの登場人物(猫)が何も着ていない。一部のキャラがスーツだったりコートだったりを羽織っているに留まっている。視聴者はほぼ何かしらの生命の全裸に近いナニカを見せつけられる事になり、その全裸のまま大きく開脚されたりする。エロスの気分になればいいのか、高尚なミュージカルとして楽しめば良いのか、どちらにしても中途半端なのである。

 

併せていえば、映画の表現の関係上仕方がない事なのだが、とある猫人間が「あいつあんなに高い声出して、ひょっとして去勢してんのか?」という台詞を言う。

 

 

……いや、無いやんけ!!!!!!ちんこ、無いやんけ!!!!!

 

その疑問にぶち当たったら最後、映画が終わるまで猫人間の股間にしか目がいかなくなる。この台詞いた??? 私には分からないです……。

 

物語終盤になると、天上にいける猫を選ぶ長命な長老猫、デュトロノミーが登場する。

この映画における天上とは「生まれ変わり」の事らしく、自らが望む姿に転生する事が出来るらしい。

この猫人間はかなり周囲から慕われており、皆が皆、彼女に気に入られようと必死になる。

 

彼女の登場から始まる舞踏会シーンは本当に新興宗教の集会所であり、何が起こるのか分からない恐怖に視聴者は固唾を飲む事になるだろう。

 

ここからは怒涛のように登場人物(猫)が登場し、アピールを繰り返す。鉄道が好きな猫だったり、元役者だったり、色々出てきて、自己紹介をする。

それで終わる。

 

多種多様な個性を出しておいて、自己紹介でこの映画は終わる。この猫人間達がそれぞれの個性を活かしながら問題を解決する、などといった盛り上がりそうなシーンなどこの映画には存在しない。この映画は八割自己紹介で終わる。まだみんなで困難に立ち向かおう! となったらストーリーにも起伏があったかもしれないが、そんなものは存在しない。

 

記事が長くなったので、最後に思った事を書いておく。終盤のシーンの事だが、すったもんだあった末にとある猫が天上に行ける猫へと選ばれて、そうして気球に乗って空へ旅立っていく。

ちょうど映画公開のタイミングが死ぬ程悪く、私はそこでメイドインアビスのミーティを思い出し、泣いた。この猫人間みんな「成れ果て」なのでは……? 納得してしまう自分が嫌である。

 

そして、最後の最後、デュトロノミーによる問題のシーン、「これを見ている視聴者のみんなへ」という強烈なメタコーナーをもって、この新鮮な地獄は幕を閉じる。

 

今まで一歩引いた所から、これは核で人類が滅んだ後、これは核で人類が滅んだ後……と自己暗示をしていた"私"に向かって、今目の前にいる人間に向かって、彼女は告げる。

 

 

猫との接し方を……。

 

 

 

……では白石晃士監督の映画キャッチコピーみたいな事を書いてこの記事の〆にしようと思う。

 

「この恐怖は、現実まで感染する」

 

気になる方は、是非劇場へ。Gに耐性の無い人は注意してね。ミュージカル映画としてみれば結構楽しいよ。